わたしは今、公園にいる。
1時間早起きをして、会社に行くかどうか考えた。昨日は、もう今週は全部休んでやると息巻いたが、当日になるとどうしても迷いが出てきた。
流石に迷惑をかけすぎているのではないか。今日と明日だけ頑張れば休みだし、今日は行くか。
散々迷った挙句、「あ、これいつものパターンだ」と思って、欠席の連絡をした。
昔、中学受験をした。勉強が死ぬほど嫌で、小学生ながら自殺まで考えた。本当に辛かったけど、我慢して、我慢して、第一志望の学校に合格した。
両親や塾の先生がとても喜んでくれた。勉強は辛かったけど、報われた気がした。
そこから「自分が我慢して周りを喜ばせる」という行動パターンが生まれていたことに、今朝、突如として気がついた。
試験勉強、部活動、大学の進路選択、就活、仕事、今までの人生のすべてにおいて、自分が我慢して誰かの期待に応えようとしてきた。
自分が頑張れば周りは喜ぶし、世間的にも良く見られるので、それでいいのだと思ってしまっていた。
でも、今の仕事でもう限界がきてしまった。それにもう、自分が好きなことで生きていくと心に決めた。これからは「自分が喜ぶことで周りを喜ばせる」に行動パターンを変えていかないといけない。
今日会社に行ったら、今までと同じになってしまう。また、同じ人生を繰り返すことになる、そう思って、今日も会社を休んだ。
明日も休む。
もう、迷惑をかけることを自分に許可することにする。
自分が楽をすることを許可することにする。
もっと図々しく生きることにする。
自分が気にしていたのは会社の人の目だけだった。やりたくないことを我慢してやるのと、自分に正直に生きるのとで、死ぬ前に後悔するのはどちらだろうか。
今日、会社の人に気を使って、休むことができないのなら、会社を辞めることなんて到底無理だろう。
今までは、自分の人生を「我慢する物語」として捉えてしまっていた。我慢しないと何も得られないと思い込んでしまっていた。自分から、我慢しないといけない環境に近づいていた。
この生き方は捨てる。
楽で、快適で、楽しいことをしても良いのだと自分に言い聞かせる。自分の物語を「楽しむ物語」に書き換えていくことにする。
人生は捉え方の問題だ。自分が自分の生き方をどう考えているかに左右される。「我慢する物語」か「楽しむ物語」かは、自分で選ぶことができる。
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