モノの価値は「使い道を見出せるかどうか」によって変わる。
例えば、そのまま食べるには熟れ過ぎたバナナがあったとする。
このバナナに価値はないのか?
「そのまま食べる」という使い道しか思いついていなかったら、価値がないということになってしまうが、以下のような使い道を考えてみたらどうだろうか。
・パウンドケーキの材料にする
・昆虫のエサにする
・デッサンのモチーフにする
こういう使い道なら欲しいという人もいるのではないだろうか。つまり、価値があるということになる。
「熟れ過ぎたバナナ」というモノ自体は何も変わっていない。
使い道を見出すだけで、価値は生まれるのである。
モノそのものに価値はなく、人々の頭の中に価値がある。
モノに価値があるかどうかは、人々が価値を認識できるかどうかにかかっているということである。
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人間にも同じことが言える。
自分には何もスキルがない、価値がないと思っている人は熟れ過ぎたバナナと同じだ。
価値がないのではなく、自分の中に眠っている価値を認識できていないのである。
自分に何ができるかを全て書き出してみる。そして、それをどう使うことに需要があるのかを考えてみればいい。
無理に自分を変えようとせずに、ありのままの自分に使い道を見出すことだ。
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