【雑記】中学受験の記憶

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雑記

中学受験のことを書く。とにかくなんでもいいから思い出して書いてみる。

なんで書くかというと、とにかく辛かったからだ。今でも、自分の中に何かを残している気がする。それがなんなのかが知りたい。

まず、なぜ中学受験をすることになったかというと、全く覚えていない。親が気付いたら自分のことを塾に入れていた。中学受験をすることなんて全く知らないまま、そういうものだと思って塾に行っていた。当時はまだ小学生だったから、親の言うことを聞くのが絶対だと思っていた。親の決定を覆すことができるという発想がなかった。「親が言った通りにする」という世界の中で生きていた。

小学生なんてそんなものじゃないだろうか。親から捨てられたら、どうやっても生きていけないのが小学生だ。親から教えられた概念の中で生きているのが小学生だ。お前は中学受験をしろと言われたら、そうか僕は中学受験をするのかと思うのが小学生だ。

いや、小学生でも反抗する子はするのかもしれない。でも僕はしなかった。それに塾に行くのがそれほど辛かった訳でもなかった。新しいことを学ぶのは好きだし、塾にも友達はいたし、先生も面白かった。

じゃあ、なにが辛かったんだろう。そうだ、塾に行くこと自体は別にそこまで辛くなかった気がする。塾に行く前は本当に行きたくなくて駄々をこねてたというか、暴れていたけど、塾に行ってしまえば、それなりに楽しく過ごしていた。

じゃあ自分を追い込んでいたのはなんだったんだろう。僕はあの時、本当に死にたいと思っていた。小学生だけど。本気の本気で死にたいと思っていたのは、小学生だったあの時だけだった。毎晩、明日の朝になったら、そのまま眠るように死なないかなって思っていた。ストレスで無茶苦茶になって、壁に頭を打ちつけたりもしていた。大暴れして家の床を壊したし、姉をぶん殴ったこともあった。

あれはなんだったのだろう。

宿題が、いつも終わっていなかった。宿題が終わっていないまま、塾に行くのが嫌だった。算数の問題がどうしてもわからなくて、でも答えを写すとかはやりたくなくて、わかるまでずっとイライラしながら教科書の前に座っていた。

イライラしすぎて、教科書をクシャクシャにしたりして八つ当たりした。親にやめなさいと言われてもやめなかった。教科書をクシャクシャにすることに全く意味はないということが、今では分かるのに、それをやってしまうのが小学生なのだろう。

仕事が終わらないのを上司に報告するのが、嫌なのと同じで、宿題が終わっていないのを先生に言うのが嫌だった。塾の先生なんて、どうせ月謝を貰えればいいのだから、宿題が終わっていなくてもそこまで怒られないというのが今なら分かる。

でも、その時は「先生」という存在に宿題が終わっていないことを言うのが本当に嫌だった。先生は偉い、先生は自分より上だ、宿題は終わらせないといけない、当時10年や11年そこらしか生きていなかった訳だが、幼少期からそういう風に刷り込まれていたと言うことだろう。

ほとんど、毎日、深夜まで塾の宿題をやっていた。当時はリビングで、テレビをつけながら宿題をやっていた。テレビなんかつけずに集中して宿題をやればいいのに、それでも見たいテレビがあって、見ながら宿題をしてしまう、それが小学生。自制心なんてまだない。まだ自制心というのが生まれる前の段階なのだ。

深夜というのがどれくらい深夜かというと、0時くらいまでは起きていたと思う。「お願いランキング」が始まると、「あぁもうこんな時間か」と思った気がする。

宿題は、終わっていない。頭が回っていないので、いつまでも起きていても終わることがない。でも、「自分の頭が回っていない」ということすら、当時は認識できていなかったと思う。なにしろ、初めての経験だからだ。それまで、いつもたくさん寝ていて、夜遅くまで起きたら頭が回らなくなることなんて、経験として知り得なかった。

算数の問題が分からなくて、癇癪を起こしていると、父親が部屋から起きてきて、うるさいと叱られた。叱られると落ち込んだ。結局、次の日の宿題が終わっていないことを気にしながら寝た。

朝は、手をつけられなかった「学校の」宿題をやっていた。自由学習ノートだかなんだか、とにかくなんでもいいから自分でテーマを決めてノート1ページを埋めてくる、みたいなやつだったと思う。

そんなもの、適当に手を抜いてしまえばいいと、今になっては思うのだが、びっしり書き込んでいた。学校の宿題の手を抜くという観点が当時はなかった。小学生というのは、そういうものだと思う。本当に狭い世界に生きている。少なくとも僕にとっては、先生と親が全てだったと思う。

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