【雑記】悩むな、ただ書き続けろ

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雑記

結局、自分は何がやりたいのか、そんなことに悩むのは無駄である。

なぜなら、1日は24時間しかない。何をやりたいか、というのは将来の24時間をに自分は何をしているのか考えるということなのだ。

ごちゃごちゃ考えてもしょうがない。自分が得意なこととか、価値観とか、どれだけ考えても、結局は自分が体を動かすこと、何かを「やる」ことでしか現実は変わっていかない。自分が将来何に時間を使っているかが、イコール「やりたいこと」になる。

つまり、「やりたいこと」とは、名詞ではなく、動詞なのだ。作家になるのではなく、1日5時間、文章を書く、ということである。

だから、何も考えずに書けばいい。お金を稼げなかろうと、誰にも評価されなかろうと、自分が文章を書くことを継続できるということ、そしてそれが好きであるということが重要なのだ。

お金を稼げなくても、誰にも評価されなくても、自分の24時間がやりたいことで埋められていれば幸せなのだ。

と、いうことを『生きのびるための事務』という本で学んだ。

何も考えずにただ書けば、スラスラと文章が出てくる、というところにもものすごく共感した。著者の坂口恭平さんは、文章、絵、音楽と色々やっている人らしい。自分も、文章も絵もやりたい。音楽は興味ないけど。

昔から、ダ・ヴィンチとか、色々できる万能人に憧れてきた。坂口さんもその類の人だと思う。自分の目指すロールモデル的な人がやっと現代日本で見つかったという感覚がある。

それにしても書くことは楽しい。自分の才能、才能というか続けられることは「書くこと」だと思う。なぜ楽しいのかはよくわからない。

書く時は手書きが好きだ。ブログに写すのは、スマホかPCでやっている。効率は悪いと思う。でも、効率とかどうでもいいからこそ、好きなことなのだと思う。効率を気にしていたら、何もやりたくなくなる。

別の小説投稿サイトで、ショートショートを少しずつ載せている。

最近になって、自分は発想力が他の人よりもあるのかもしれないと思い始めた。

詳しいエピソードは省略するが、自由にアイディアを出していいと言われると、まず、ワクワクする。

このワクワクの気持ちがまず重要だ。ワクワクする、ということは才能がある。自分でいうのもなんだけど。

そして、他の人と自由にアイディアを出す機会があったとき、大抵自分の案は最終候補くらいまでは残る。

あと、昔から、1人遊びをするときは工作とか発明の妄想とか、落書きを延々やったりとか、とにかく自分でゼロから何かを考えるということに自然と導かれていた。だから、自分は、自由に発想する、ということが好きなのだと思う。

この「自由に発想する」ということと、「書くこと」を組み合わせてショートショートとか、SF、ファンタジーものの小説を書いていきたい。

他の人に評価されなくてもただ続ける。作家になるということ、夢を叶えるというのは、時間配分が変わるということなのだ。

他の人の評価を気にする必要は全くない。クリエイターのモチベーションというのは自分の中に静かに存在するのであって、外側に求めるものじゃない。

やり方が自分に合っていれば必ずできる。

村上春樹さんのエッセイで、一作目を書いた時は作品が日の目を見るかどうかよりも、ただ完成させることに興味があったと言っていた。どこどこの文学賞に応募しようとか、小説を書いて金を稼ごうとか、そんなことは一切考えていなかったのだ。自分の好きなことというのはそういうことだ。自分の中にモチベーションがあって、ただ黙々と続けている。いつのまにか続けている。

さて、それでは将来の時間配分について考えてみる。

まず、朝の5時に起きて、瞑想をする。そして、執筆を7時30分まで行う。

その後、妻と一緒に朝食をとり、ジムに向かう。9時30分まで運動をする。

家に帰ったら、12時くらいまで、また執筆をするか、本を読む。カフェや公園にもその日の気分によっては行く。

12時になったら軽食を取る。軽食はサラダとミックスナッツ。食後、15時くらいまで再び執筆か読書をする。時々、場所を変える。

15時30分頃、子供達が家から帰ってくる。ちなみに、子供達と言っているが、子供はまだいない。

子供達とおやつを食べながら、おしゃべりをする。その後、散歩に行くか、子供達と遊ぶ。

17時頃、夕飯の買い出しに行き、料理をする。料理は少し手の込んだものを作りたい。

18時30分頃、家族全員で夕食を取る。19時30分頃、食事が終わり、後片付け。

20時にシャワーを浴び、22時まで本を読んだり、家族とゆっくりしたり、絵を描いたりして過ごす。眠くなったら寝る。次の日も5時に起床する。

最高だ。そして、なぜかわからないが、こうなるという予感がしている。絶対こうなる。

あと、休みの日、子供達が家にいるときは必ず出かけたい。レストランでご飯を食べて、本屋に行ったり、映画を見たり、遊園地に行ったりする。

海外旅行にも年に一回は行っている。親と子供達と、温泉旅行にも行く。国内旅行は、2.3ヶ月に1回くらいは行く。妻の実家にもちょくちょく顔を出す。

私は今、24歳である。来年、25歳になる。年内には、今の会社を退職する意思を伝えることにする。

全くもって、良い経験になった。思うに、本当にできないこと、やりたいことというのは、できないことの中にぶち込まれないとわからないのだと思う。

私は今、ゲームプランナーをやっているが、それは、「自由に発想する」というイメージに過去の自分が惹かれた結果だと思う。

だが、現実は違った。少なくとも今の会社は違った。「自由に発想する」機会なんてほとんどなくて、実際は上の人が決めたものをいかに組み立てていくか、という仕事がメインだった。特に、今の会社は一切冒険をしようとしない社風なので、それも良くなかったのかもしれない。

でも、こういう自分に合ってないことを経験するのはむしろ、自分に神様が与えてくれたチャンスなのではないかと思う。本当にそう思う。「お前一回やっとけ」っていう。

散々悩んだけど、自分が本来行くべき場所に向かっているという感覚がある。なぜかは分からない。ただ、確信めいたもの、自分が本当に信じているもの、例えば、人は将来必ず死ぬとか、そういうのと同じくらいの感覚で、自分は将来好きなことだけに時間を使っているということに「腹落ち」している。

自分で自分を洗脳しているのか、なんなのかはよく分からない。ただ、最終的に上手く行く物語を自分は生きているという感覚がある。

なんか知らんけど、良かった。

坂口恭平さんの本は、もっと色々読んでみよう。シンパシーを感じてる。勝手に。

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